一世紀余りの時を超えて、日本のワインの歴史を物語る『岩の原葡萄園』日本のワイン葡萄の父と呼ばれる創始者、川上善兵衛はこの雪深い上越の地に葡萄園を拓いてワインづくりを始めました。住持の仕事振りを偲ばせる石蔵の冷涼な空気は、その歳月の重みが生み出す品格と最高級ワインづくりへ果てしない情熱を今も変わらずに伝えていきます。
岩の原葡萄園では、創業以来一世紀以上にわたり、ぶどう造りからワイン造りまで、一貫した生産を行ってきました。雪深いこの土地の気候と風土に育まれた、「越後高田の味」岩の原ワイン。ぶどうとワインの素敵な物語これからはじまります。
妙高連山のすそ野がなだらかに日本海に接する「越後・頚城平野」。その頚城平野にあり、かつて城下町として栄えた越後・高田(現上越市)に岩の原葡萄園はあります。この葡萄園の歴史は、1890年(明治23年)創業者川上善兵衛が自宅の庭園に鍬に入れ、葡萄園を作ったところから始まりました。以来3世紀に亘り、善兵衛がぶどうとワインにかけた情熱を引き継ぎ、高品質の国産ワインを造りだすための努力を惜しむことなく続けています。
高田大地主の家に生まれた善兵衛は、農民救済のための新しい産業としてワイン醸造に着目しました。これは、時代背景と豪雪地という風土を考慮した結果でした。私財を投げだして葡萄園を拓いた善兵衛は本格的なワイン造りを追求し、当時の気候風土に適したぶどうを求めて品質改良に没頭し、約1万種の品質交雑の中からマスカット・ベーリーAをはじめ40品種に近い優良品種を世に送り出しました。また貯蔵した雪を利用した低温醗酵や密閉醸造など、ワインの醸造方法にも工夫をこらし、今日の国産ワインの磯を築きました。こうして川上善兵衛は、「日本のワインぶどうの父」と称されに至ったのです。
善兵衛が生まれ育った川上家は、代々庄屋や村長を努めた名家で、幕末から明治にかけては勤皇方の志士に援助を与えるなどしてきました。その影響を受け、善兵衛自身様々な明治維新の立役者達と交流を持ちました。特に勝海舟からは大きな影響を受け、ワインづくりを志したもの、勝の談話の中で、欧米の食生活に不可欠なワインが日本にも根付いていくだろうと、確信したためでした。右の書は、明治21年夏、善兵衛が事業を始めるに当り、激励に意味をこめて海舟から贈られたものです。
川上善兵衛は良質なワインを造るため、発酵温度コントロールや夏場のワイン熟成庫の温度管理に、越後名物の雪を利用しました。冷却設備の無い時代にワイン熟成庫である「第二号石蔵」に雪室を併設し、雪を保存し雪による冷却を実現したのです。それから100年、岩の原葡萄園では、CO2の発生量を削除して環境負荷を軽減することを目的に、雪室を復活させました。更に冷却機能だけでなく、雪を直接利用したワインの熟成や、ワイナリーご見学の皆様に、真夏の雪国を体感していただくこともできます。